主体的に生きるということ
牛乳について学んでいると、牛がどのように扱われているのかについても興味が出てきます。
日本の畜産の現場では、狭い所に押し込められ、濃厚飼料を食べさせられ、まるで牛乳製造マシーンのように扱われているところが多いようです。
そうでないと、経済的に割が合わないから・・・
でも、都会で狭いマンションに住み、加工食品を食べ・・・
という生活は、乳牛とあまり変わらないような気もします。
そうでないと、経済的に割が合わないから・・・
でも、都会で狭いマンションに住み、加工食品を食べ・・・
という生活は、乳牛とあまり変わらないような気もします。
でも、乳牛は自分の生き方を決めることはできませんが、私たちは自分でどのように生きるのかを決めることができます。
ところで、私たちは自分が食べるものを自分で決めているでしょうか?
ところで、私たちは自分が食べるものを自分で決めているでしょうか?
食べ物はスーパーやコンビニで買えるようになりました。
便利になった反面、食べ物は買ってくれば済むものになってしまい、食べ物を集めたり、作ったりに関わることはほとんどなくなりました。
便利になった反面、食べ物は買ってくれば済むものになってしまい、食べ物を集めたり、作ったりに関わることはほとんどなくなりました。
それと共に、食べ物がどのようにしてできているのかもわからなくなってしまいました。
食べ物が商品となり、経済が優先されるようになると・・・
食べ物を経済の原理に委ねるとあんまりよろしくなさそうだなぁということは、容易に想像できます。
そんな食べ物でもいいですか?
ほんの数十年前までは、日本でも食べるものを自分で作って暮らしていくのが当たり前だったと思われます。
皆さんも、少しでもいいので何か育ててみませんか?
無駄に思えるかもしれませんが、自分でやってみることによって、とても大切なものが見えてくるのではないかと思います。
皆さんも、少しでもいいので何か育ててみませんか?
無駄に思えるかもしれませんが、自分でやってみることによって、とても大切なものが見えてくるのではないかと思います。
とりあえず、主体的に生きるためにも、食べ物についてもう少し考えてみませんか?
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- 2014.05.29 Thursday
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- 22:47
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- by dr-kwan